Sunday, April 6, 2008

私のおもいで


私はコロンビア大学に入る前に、高校と都会のテレビ局でアナウンサーの仕事を三年間しました。仕事はとてもおもしろく、忙しかったです。
  その仕事が時間と努力(どりょく)がたくさんいっても、私は働くことが大好きでした。そして、私が一番忘れられないことはテレビのホストの仕事についていろいろなことだと思います。
  一番思い出に残っているのは、初めてニュースを伝えたことです。三年前の私が十六歳のときでした。毎晩、晩ご飯を食べてから、父と母とうちでテレビの前に座って,いっしょにニュースを見ました。あのニュースアナウンサーはとてもきれいで、プロでした。そして、私もニュースアナウンサーになりたいでした。
  私の学校は、テレビのニュース番組がありました。私が高校に入る時、先輩は「ジェ二―は学校のテレビのアナウンサーを応募してね!」と言いました。それから、先輩は高校のテレビの人に私を推薦(すいせん)しました。でも、テレビの人は「誰もがコンテストをしなければならないと言いました。そして、私は早くコンテストの準備(じゅんび)をしました。
  ニュースアナンサーの仕事はきれいな声(こえ)で話せなければなりませんから、私はコンテストの二週間前に、毎日両親と友達に小(しょう)スピーチをあげました。それに、朝と夜のニュース番組(ばんぐみ)を見たり、テレビのニュースアナンサーの話し方を真似したりしました。二週間でコンテストの日まで練習(れんしゅう)しました。
  あの日は、私は特にすてきなスーツを着て、両親と友達といっしょに行きました。コンテストは生中継(ちゅうけい)なので、スタジオで人が多かったです。スタジオは静かで、明るかったです。でも、私はとても緊張しました。コンテストは三つの部分がありました:短いスピーチをすること、ニュースを読むこと、質問(しつもん)に答える(こたえる)ことでした。私のスピーチは「どうしてニュースアナウンサーになりたいのか」について語りました。スピーチは長く(ながく)なかったですが、おもしろくて、真剣(しんけん)でした。 観客(かんきゃく)の人からたくさんの拍手(はくしゅ)をもらいました。 そして、私はリラックスできました。両親と友達と先輩も「頑張ったね!」と言いました。
  二日後(ご)、私は「おめでとう」の手紙をもらいました、とても楽しいかったです。「これから、もっと頑張ろう!」と思いました。それから、私は高校のテレビのニュースのアナンサーになりました。週に一回ニュースをアナウンスしたり、インタビューの番組(ばんぐみ)をしたりしました。仕事が楽しいと思いましたから、よく残業をしました。後(あと)二年間、私は市のテレビステーションで働くことになりました。だんだん上手になって、ちょっと有名になりました。テレビの仕事がほんとうに大好きです!

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